薬局の仕事

薬を飲ませるという傲慢

へむ
へむ
今回はある患者さんをきっかけに薬剤師が傲慢であったと思い知った話です。

薬剤師の大罪

最近になってようやく思いに至ったことがある。

「薬を飲ませる」というのは傲慢そのものではないかと。

 

薬を飲まない人は不正解なのか?

薬剤師として、当たり前のように「薬はしっかり飲みましょう」と言い続けた。

薬を飲まない患者に対しては、どうしたら飲んでくれるだろう?と頭を捻った。

目の前で薬を飲まないと宣言をする患者に、延々と薬のメリットを説いた。

しかし、薬剤師のこの努力とは裏腹に、いくら頭を悩ませても薬を飲まない人がいる。

薬の医学的な有益性、薬を飲まないことによる病状の進展、それを差し引いても飲まない。

薬剤師としては理解に苦しむ。

だが、10年目となってやっとこの思い至った。

薬を飲まないことは不正解なのか?と。

 

薬を飲むという苦痛

日常生活の中で薬を飲むという行為は異物である。

毎日、同じ時間に決まって服薬という行為を強いられる。

服薬行為によって生活が支配されてしまうのである。

 

人は自由を求める生き物であり、この支配されることは非常にストレスを伴う。

薬物治療の成功とは、単に薬をしっかり飲むことではなく、

薬を飲むことによって、その人の人生をより豊かにすることである。

服薬行為による日常生活が支配されることは果たして、

薬を飲むことのメリットを超越するものであるのだろうか?

 

薬物治の自由の追求

薬物治療は、次の受診までの間、基本的に医療者の介在がない自由度の高いものである。

日常生活を治療行為の一貫に含めるという治療方法だ。

そのため、医者としては、治療経過のコントロールが難しいため、

病院とは独立して薬局が薬物治療の責任を担うものである。

 

薬物治療におけるパターナリズム

医療倫理でパターナリズムと言うものを習う。

医師が患者の意思を問わず治療方針を決定することである。

医療倫理の授業ではこれは古い行いであり、

今の治療の常識はインフォームド=コンセントを追求することにあるという。

ただ、これは医師によるものだけでは薬剤師にも当てはまるのではないだろうか?

 

患者がいかに服薬行為にストレスを抱こうと、薬を飲むことを強要する。

これは薬剤師のパターナリズムに他ならないと考える。

 

薬物治療におけるインフォームド=コンセント

「薬を飲ませる」ということがパターナリズムであるならば、

薬物治療におけるインフォームド=コンセントとはどのようなものであるか?

インフォームド=コンセントを直訳すると「情報提供を受けての合意」である。

そのため、薬物治療においては情報提供をしたうえで、

患者さんに服薬行為を選択してもらうことであると考える。

 

この情報提供で必要な情報と言うのは4つあると考える。

  1. 薬を飲むことのメリット=期待される治療効果
  2. 薬を飲まないことのメリット=服薬行為のストレスからの脱却
  3. 薬を飲むことのデメリット=生じうる副作用
  4. 薬を飲まないことのデメリット=病気の進展

 

薬剤師はこの4つの情報を与えることにより、患者さんに選択肢を与えるのだ。

この選択をするという行為が、自由そのものであり、服薬行為の強制感をなくすのだ。

もちろん、この選択の結果薬を飲まないという選択肢を取るかもしれない。

ただ、この患者さんの決定は医師も含めて、誰も咎めることができないのだ。

それはその行為が患者さんにとって、より豊かな人生になると考えているからだ。

 

もちろん、薬を飲まないとなったら医師との情報共有が必要です。

それでも薬物治療が必要とあれば、更なる情報提供を行って患者さんを納得させるか、

入院させるかのどちらかである。

医療者側が患者の日常生活に対して強制的な介入は行えるはずもないからだ。

 

なぜ急にそんなことを思ったのか?

今回急にこんな話をしたのは、ある患者さんがきっかけである。

その患者さんは難病を患い、決して今の医療レベルではその病気は治せない。

その患者に対する治療行為は治すことではなく、機能の保存であったり、延命治療である。

そして、患者さんは自身のリビングウィルを書いた紙を私に見せてこう言った。

「私は単なる延命治療ならいらない。薬も最低限でいい。

私は私のままでこの生活を続けて最後を迎えたい。

あなたは私に薬剤師としての説明をして欲しい。

ただし、それを選択するかは私の意志であるから尊重してほしい。」

その言葉のとおり、その患者さんは次々と薬を減らしていった。

もちろん、その薬を減らしたことによる病気の進展もあるが、

それはその患者さんの選択であり、それが私の人生なのだと言う。

それにより、今までの私の薬物治療における傲慢さを思い知ってしまった。

薬を飲むことが豊かな人生に必ず繋がるわけではない。

薬は豊かな人生を手助けするものであり、決してそれに支配されるものではない。